CommunityFurniture #5
3/308

 冬の終わり、玉川上水の中流域にある小さな街に転居した。おかげで職場からずいぶん遠くなり、毎朝げるなら、時間があるときに好きなだけ玉川上水を散策できるようになったことぐらいだろうか。東京でこんなにも長く豊かな緑道を私は知らない。この文章も川沿いの道を歩きながら書いている、というか、ためしにグーグルドキュメントの音声入力をつかって口述筆記をしてみている。季節は秋……狭い川の護岸処理はほとんどなされておらず、おかげで丈高いさまざまな木々の葉叢が水の流れを隠すようにゆれ……頭上を透明な緑のトンネルをかたちづくりながらえんえんとつづく……とかなんとか、スマートフォンのマイクにむかってしゃべりながら歩く人間が、川面に落っこちないように備えつけられた手すりがコンクリート擬木であることに気づいたのは、この街に家を住みかえて、ひと月ほど経ったころだった。上水の植生とあまりに調和していたがゆえに、いままでいたるところで目にしてきたはずの擬木という存在が、逆に気になりはじめた。よく見るとベンチや杭もプラやコンクリでできた擬木であった。一部は蔦がからみ蜘蛛が巣をはり、ちゃんと苔むしてさえいる。朽ち果てることを知らず、ただただ自然となじんでいる。ときおり本物の木でできたベンチにでくわすと、くすみかたが他の擬木の腰かけとくらべ不自然で、かえって違和感が残る。しかし、ところどころ倒木かなにかで手すりの連結部分が折れている場所があって、その傷ついたターミネーターの腕のような、剥きだしの鉄筋が目に入った刹那だけは、擬木と自然界に横たわる深い溝をかいま見ることとなった。いったい自然と、自然であることのちがいとはなんなのか。 目を転じれば、葉と葉のすきまからのぞく川沿いの戸建住宅のほとんどが、なにかを模した擬木的な壁材でおおわれていることを知る。おそらくもともとは石や煉瓦や木をまねてつくられたタイルを、さらにまねてつくった建材。そしてまたコピーにつぐコピーをくりかえし、わけのわからぬテクスチャーを身にまとうにいたった家々。宅地のまえの歩道も、ヨーロッパの石畳からは数光年はなれてた敷石が自由なパターンをえがいている。そういえばさっきスーパーで買った鮭とイクラのちらし寿司も、紙でできた曲げわっぱ風の容器に入っていたし、イクラとうたいながら半分とびこが混じっていた。ご飯とおかずを区切っていた半透明のバランは、もっとも小さな擬木かもしれない。ほんものとにせもののとばりが幾重にも連なって世界はできている。思えば玉川上水も、江戸時代に人の手で掘削された上水道であったか。いま、その道を歩いている。人工が自然へ、自然が人工へと流転する秋の小径を、と実況しながら私は歩いている。三品輝起じょうすいはむらぎぼく・・・・・・玉川上水の擬木

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る